不幸に鈍感な人間になりたかった。そう思わずにはいられないことが多々ある。悲しい、苦しい、辛い、こんな感情全てが私の恐怖の対象であるからだ。


死にたい、という漠然とした願望を抱えながら今日も何故か生きてしまった。


辛いことや悲しいことがあったから死にたいのではない。これから先起こるであろう、不幸に耐えられる自信がないからだ。不幸とは一概に「こうゆうものだ」とは決められない。ただ私は、胸をえぐるような真っ黒なあの苦しみや悲しみを、もう出来るだけ味わいたくないのだ。味わう前にこの命を終わらせたいと願ってしまうのだ。


そうはいっても、私は生きている。この歳になってようやく気づいた。自ら命を絶つことはなかなかできないものだと。この手首の傷跡が、ケロイドと化してしまった太ももの傷跡が、それを私に今も教えてくれている。


血で錆びたカッターは捨てた。太ももを深く刺したあの包丁は使わない。薬とお酒の組み合わせを見ると身震いするほどに拒絶する。


大丈夫、私はもう戻らない。


死を漠然と願いながらも、今日もYouTubeを見ながら、夜ご飯のことを考えている。


普通じゃなかった人間が普通に近づいたところで、誰も褒めてくれはしないから、自分でほめるよ。


「成長したね、えらいね私。」


大丈夫、私はみたいな人間はきっと死なない、死ねない